●ルマン到着
少しでも早くマシンをチームに渡すため、童夢は日本でS102からS102.5へ改修する作業の総てを行わないで、大急ぎでS102をフランスへ送り出しました。既に先週ルマンのテクノパルクにあるペスカロロの工場へ到着しています。S102がペスカロロの工場に到着した時、ニコラス・ミナシアンとセバスチャン・ブルディが待ち受けており、クリスマスプレゼントを取り出す子供の様な風景が繰り広げられたようです。
さすが、フランスの英雄のペスカロロだけあって、TVを含むたくさんのメディアが待ち構える中、2人のドライバーが開梱を手伝うシーンがTVで放映されたため、フランスでは、ペスカロロ童夢の誕生が広く知られているようです。
S102.5は、2012年レギュレーションに合わせてアップデイトされたS102です。5.5リットルのジャドGV5.5S2 V10に換えて搭載される3.4リットルのジャドDB3.4 V8も、ジャドから直接ペスカロロへ送られることから、ペスカロロの工場でアップデイトが行われています。
●全長が10cm短いエンジンを組み合わせる
S102からS102.5へのアップデイトは多岐にわたります。最も大きな違いは、ジャドのGV5.5S2 V10に換えてDB3.4 V8を搭載することです。DB3.4 V8は100mmも全長が短いため、エンジンを理想的な位置に取り付けるには設計変更が求められました。
S102のトランスミッションは、上半分がカーボンファイバーコンポジット製、下半分はマグネシウム製で、エンジンとミッションを繋ぐベルハウジングは存在しません。エンジンの全長が100mmも短くなるため、新たにアダプタープレートを設定しました。通常イメージされるベルハウジングは存在しません。
●リアと同じサイズのホイールをフロントにも履く方法
S102は、フロントタイヤに大きな仕事を行わせることを目標とした先駆けと言えるLMPカーですが、その後ミシュランが、リアより10mm小さいだけの幅360mm、直径710mmの大きなフロントタイヤを開発したため、当然ながらS102.5は、この巨大なフロントタイヤを採用しました。従来のフロントタイヤと比べると、幅と直径が共に30mmも大きく、フロントとリアのホイールが同じサイズとなるくらい大きいため、フロントカウルは全面的に作り直すこととなりました。
最近のLMPカーのノーズ下面には、クルマ全体の空力性能を左右するフロントディフューザーが設けられています。1つあたり30mm幅が広いタイヤを履くと、60mmもフロントディフューザーの幅は狭くなってしまいます。童夢のエンジニア達は風洞実験を繰り返しました。ルマン直前まで風洞実験は続けられますが、なんとか目処はついてきたようです。
大きなフロントタイヤを履いても、大きな効果を発揮するフロントディフューザーを求めた童夢のエンジニア達は、後方が小さいフロントフェンダーをデザインしました。幅が広いフロントタイヤ部分、そして、その後方の左右を絞ったフェンダーの間に段差が出来るため、その隙間からも床下の空気を吸い出す作戦です。
内側に段差が付いたフロントフェンダーは、S102.5のデザイン上のポイントともなっています。
また、フロントに大きなタイヤを履いても、充分な荷重をフロントタイヤに与えなければ、その能力を発揮することは出来ません。
新たに搭載されるジャドDB3.4 V8は、エンジンが100mm短いだけでなく、重さはたった118kgです。元々、S102は前寄りの重量配分とするのを考慮して、モノコックの内側にエンジンが食い込むような凝ったデザインのモノコックを持っていますが、軽量コンパクトなエンジンによって、ますますバランスは改善されるため、50kgのウエイトを積んで、前後の重量配分を48:52に設定してセッティングを開始する予定です。
●スワンネックとシャークフィン
2009年ACOは、幅1.6mのリアウイングの使用を義務着けました。もちろん、幅1.6mのリアウイングによって大きくダウンフォースは失われてしまいます。エンジニア達の苦労が始まりました。
童夢でも2009年から幅1.6mのリアウイングを組み合わせた空力開発が行われています。2008年までの幅2mのリアウイングと同じ効果を取り戻すことは不可能ですから、当然、リアウイングに大きな迎え角をつけてマウントすることとなります。大きな迎え角をつけた状態でリアウイングの能力を引き出す方法を求めた結果、リアタイヤ後方のリアカウルの左右後端を大きく盛り上げることによって、安定してリアウイングが性能を発揮出来ることが判明しました。
1.6mリアウイングについては、世界中のエンジニア達が苦労していたようで、多少でも能力を引き出すため、剥離し易いウイングの下面にスムーズに空気を流すため、ウイングの上面に取り付けスティを設ける方法を編み出しました。白鳥の首の様なカタチとなるため、このウイングスティはスワンネックと呼ばれていますが、いくつかの車両が採用したことから、さっそく童夢でも風洞実験を行いましたが、いまのところ、その効果は限定的なようです。ただし、マイナス要素はなさそうなので、童夢でも採用しています。
2010年にプジョーとORECAが空を飛んだことは、世界中のエンジニアを大いに悩ませました。バランスを崩して横を向いたり、あるいはスピンして後ろ向きに走る状況となると、クルマの側面や後方から空気が床下に入ることとなります。その結果容易にクルマが空を飛んだと考えられています。特に2004年以降のLMPカーの床板は、床下で大きな空力性能を獲得出来ないよう段差がつけられ、側面から床下へ空気が入り込み易く、このようなアクシデントが何度も発生したのでしょう。
通常クルマを横向きにしたり、あるいは後ろ向きとした風洞実験は行いませんから、こういう状態での空力効果は明らかではありません。2011年ACOとFIAは、高速域での方向安定性を向上させることを狙って、LMPカーのリアカウルに大きな垂直尾翼の設置を義務つけました。
リアカウルに設ける垂直尾翼は一般的にシャークフィンと呼ばれますが、高速でのスピンによって大きなアクシデントが頻発した北アメリカのオーバルトラックレースではお馴染みのアイテムです。2011年シャークフィンの設置は新車にのみ義務つけられたため、開発項目を減らすため、新しいモノコックの使用を諦めて、シャークフィンの設置を先送りしたコンストラクターも居たようですが、2012年は新車だけでなく、総てのLMPカーにシャークフィンの設置が義務つけられます。
シャークフィンはリアウイングの前にレイアウトされるため、どうしてもリアウイングへの空気の流れを乱してしまいます。特にダウンフォースが求められる旋回状況において、この傾向は顕著となります。
つまり、シャークフィンによって、高速域における方向安定性は向上しても、ダウンフォースそのものは減少してしまいます。
童夢のエンジニアの腕の見せ所と言えるかもしれません。
また、新たにシャークフィンを設けるのであれば、構造を変更して、シャークフィンにリアウイングスティの役目の一部分を持たせようと考えるエンジニアも現れています。
リアウイングスティには寸法規定があるため、シャークフィン自体がリアウイングステイを兼ねることは出来ません。しかも、シャークフィンには横向きの荷重試験をクリアしなければなりません。つまり、これらの規定を満足出来るのであれば、リアウイングステイとシャークフィンを接続することが可能となります。
シャークフィンが重くなって重心が高まる可能性があるため、童夢は独立したスワンネックによってリアウイングをマウントしました。
●リアタイヤアーチ上にも開口部の設置が義務つけられる
2012年のレギュレーションの中で新しい項目は、リアタイヤアーチの上にも開口部を設けることが義務つけられたことです。
通常タイヤアーチ上に開口部を設けると、床下の空気が吸い出されるため、ダウンフォースが増えます。しかし、同時にドラッグが増えることから、ルマンの様な高速コースを走る場合、デメリットとなります。
シャークフィンの設置を義務つけても、ルマンでアウディが空を飛んだため、ACOとFIAは強制的に床下の空気を抜くことを意図したルールを制定しました。非常に小さい変更ですが、エンジニア達にとっては知恵の絞りがいのある、つまり非常に苦労させられるルールのようです。
従来もフロントのタイヤアーチ上に開口部を設けることが義務つけられていましたが、2012年、ACOとFIAは、リアのタイヤアーチ上にも開口部の設置を義務つけ、明確に開口部の面積の規定も設けました。
その結果、想像以上に空力性能は低下しているようです。
●3人目のドライバーは荒聖治
既に噂になっていましたが、今週3人目のドライバーとして、荒聖治の加入が決定しました。スポーツカーレースに興味を持つ方々であれば、2004年ルマンで優勝した荒聖治のことはご存じだと思います。
これまで童夢やペスカロロへは、たくさんのドライバーが売り込んできました。新進気鋭の若手はもちろんですが、プジョーの撤退が明らかとなると、エース級のドライバーも次々と連絡してきました。
林みのるは、もともと、ドライバーの国籍には何のこだわりも持っていませんから、それらの売込みがあったドライバーから選ぼうとしていたようですが、鮒子田監督の意向を受けて荒の加入を承諾したようです。
日本人ドライバーを採用するための最も大きな障害は、6月に行われるルマンはともかく、困ったことに、5月に行われるWECスパ-フランコルシャンの日程が、日本のSuperGT富士と重なっていることです。有能な日本人ドライバーは例外なくSuperGTへ参加していますから、日本人ドライバーを採用する場合、スパは参加できなくなります。
最終的に荒聖治に決定しましたが、WECスパ-フランコルシャンは6時間レースなので、ここは、ニコラス・ミナシアンとセバスチャン・ブルディの2人のドライバーで戦ってもらう事にして、荒はルマンだけとなりましたが、林みのるは、このようなルマンを無視したようなカレンダーの設定に大変に憤っています。
現在、ルマンのペスカロロの工場において、童夢とペスカロロのメカニック達がS102.5を組み立てています。既にジャドDB3.4 V8も搭載されたようです。寒波によって、ヨーロッパは天気が不安定なようですが、準備が整い次第、3月10日頃テストを開始することとなります。
鈴木 英紀 著
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