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4/25日 ルマンテストデー、
現地よりリアルタイムレポート実施予定。
現地特派員は、マニアックなレース本「Sports-Car racing」の鈴木さんにお願いしました。

 
 童夢S101で、今年のルマン24時間レースに参戦する各チームの体制と、週末ルマンで行われるテストデーを迎えるまでのあらすじを、鈴木さんに詳しくまとめていただきました。


2004"24 HEURES DU MANS" DOME S101 TEAM
KONDO RACING
Car No. 9
Engine MUGEN MF408S
Tire YOKOHAMA
Driver R.Michigami
  H.Katoh
  H.Shimoda
RACING FOR HOLLAND
Car No. 15
Engine JUDD
Tire DUNLOP
Driver J.Lammers
  K.Kaneishi
  C.Dyson
Car No. 16
Engine JUDD
Tire DUNLOP
Driver T.Coronel
  J.Wilson
  R.Firman

ドタバタ、そして3台体制でルマンへ

 林社長が臭わせていたように、今年のルマンには3つのレーシングチームから4台の童夢S101が登場する予定だった。その内訳は、2001年以来、アウディの大群に唯一対抗しているプライベートチームであるRacingForHollandから4リットルのジャドV10エンジン付きの2台、コンドウレーシングのMテックV8エンジン付きが1台、そして、2003年までアウディUKとして活動したアレーナのMテックV8エンジン付きの1台だった。
 4台は正式にルマンへエントリー申請を行った。ところが、今年のルマンへは50台の枠に77台がエントリーしていたため、ACOは1つのメイクが4台も走ることに難色を示した。結局童夢を走らせる3つのレーシングチームの総てを受け入れるため、2台をエントリーしたRacingForHollandの1台が、補欠リストに入れられることとなってしまった。
 RacingForHollandを率いるヤン・ラマースだけでなく、誰もがACOの決定に驚いたことだろう。2002年と2003年のFIASCCチャンピオンであるだけでなく、2001年以来アウディの大群に唯一対抗出来たプライベートチームは、RacingForHollandの童夢だけだった。
 ところが、エントリー申請を行った後、第3の童夢チームとして名乗りを上げたアレーナは、プロジェクトをキャンセルさせていた。どうしてプロジェクトが消滅したのか?正確な情報は無い。アレーナが脱落した時点で童夢勢は3台となっていたため、アレーナが、ACOへエントリー辞退を連絡していれば、何も問題はなかった。ところが、アレーナはギリギリまで可能性を模索していたようで、ACOに連絡しなかったようだ。その結果、3つのチームの総てを受け入れようとしたACOは、計画が消滅したアレーナのエントリーを認め、実績のあるRacingForHollandの1台を補欠としてしまった。
 RacingForHollandにも1台が補欠とされる理由は存在していたようだ。彼らは、1つのビッグスポンサーではなく、たくさんのスポンサーからの支援によってレース活動を行っている。彼らの走らせるS101が、耳無し法一のように、全身にたくさんのスポンサーの名前を書き込んでいることはそのためだ。ところが、どんなに少額であったとしても、これらのたくさんの支援者を満足させるため、RacingForHollandの面々は様々な調整に苦労していた。支援者とドライバーは密接な関係にあるため、エントリー締め切りまでに、ラマースはナンバー2カー(No.16)の3人のドライバーを決定出来なかった。そこで、No.16のS101のドライバーを3人共未定のままエントリーしてしまった。
 ドライバーが3人共未定のエントリーをACOが快く思うはずはないだろう。
 補欠と言っても4番目だったことから、RacingForHollandが2台を走らせることが出来ると考えられていた。ACOがエントリーリストを公表した翌日、やっとアレーナが脱落を認めた。その数日後にはGTSクラスとGTクラスの2台のフェラーリが脱落したため、4月に入ると、RacingForHollandのNo.16は補欠リストの1番目となっていた。
 そして20日(公式テストディ5日前!)、GTクラスにフェラーリ550でエントリーしていたXLレーシングが脱落したため、2台目のRacingForHolland童夢の参戦が実現した。

ポールリカールテストで328km/hを記録

 今年からACOが中心となって開催されるルマンエンデュランスシリーズ(LMES)のため、LMESでは4月6日と7日南フランスのポールリカールサーキットにおいて合同テストを開催した。3台のアウディ、2台のザイテック(旧DBA)、リスター、MGローラ、アルコールエンジン付きレイナード、ペスカロロチームクラージュ、リーマンターボエンンジン付きレイナード、GTSクラスのフェラーリ550等と共に、RacingForHollandの童夢S101も参加した。
 RacingForHollandが持ち込んだS101は、2003年にFIASCCチャンピオンを獲得したシャシーそのもので、ジャド4リットルV10エンジンを搭載し、ヤン・ラマースとクリス・ダイソンによってテストを行った。
 マルセイユから東に50kmほど行った丘の上にあるポールリカールサーキットは、長いストレートと様々なコーナーがあるだけでなく、コースの彼方此方に計測機器を備えることから、テストを行うのに最適なサーキットと考えられている。ところが、この地方特有のミストラルと呼ばれる強い風が1年中吹くことから、ドライバーにとっては、マシンの操縦に苦労させられるサーキットでもある。
 RacingForHollandのS101は、最高出力はあるものの、1万回転以上まわさなければ、その恩恵を得ることが出来ないジャド4リットルV10エンジンを搭載することから、ストレートスピードを重視したセッティングを行い、とんでもない記録を樹立してしまった。
 3台のアウディは307から310km/h程度の最高速度で走行した。彼らは強力な4リットルターボエンジンを搭載することから、この程度の最高速度であっても、1分40秒を切るタイムを記録した。特にセッティングの進んでいるチームゴウは、ミシュランのタイヤテストを行いながらトップタイムを記録した。
 これに対してRacingForHolland童夢は、何と328km/hという、ポールリカールでは驚異的な最高速度を記録しながら、チームゴウアウディに迫った。速い最高速度を実現するには、当然ながらダウンフォースを少なく設定しなければならない。しかし、ダウンフォースを減らすとコーナーリングスピードだけでなく、ストレートでの安定性も損なってしまう。エンジニアのイアン・フォーリーが巧妙にサスペンションのセッティングを行った結果、ラマースはチームゴウアウディに7/100秒差まで追いつめることに成功した。もちろん、予選用タイヤを使ったわけでも、特別な予選用セッティングで走行したわけではないため、ドタバタ続きのRacingForHolandのムードを一気に明るくすることとなった。

ポールリカールタイム(4月6-7日)
1:チームゴウ(アウディR8) 1,39,411
2:RacingForHolland(童夢S101/ジャド4リットル) 1,39,483
3:クリエイション(DBA03) 1,39,499
4:ヴェロックスアウディUK(アウディR8) 1,39,604
5:ペスカロロ(クラージュ/ジャド5リットル) 1,39,705
6:ヴェロックスアウディUK(アウディR8) 1,40,475
7:JOTA(ザイテック04) 1,40,846
8:リスター(ストーム) 1,41,137
9:RML(MGローラ) 1,41,706
10.NASAMAX(レイナード/メタノールジャド) 1.44.504

20cm幅の狭いリアウイングを持ったS101の登場

2004年のルマンを走るプロトタイプカーは5種類
 1999年のルマンでメルセデスCLRが空を飛んだことへの反省から、今年ACOは、プロトタイプカーのレギュレーションを全面的に置き換える予定だった。新しい2004年レギュレーションは、何度かのモデファイの末昨年夏に正式に発表されている。ところが、昨今の不景気風によって、2004年レギュレーションのクルマだけでなく、2003年レギュレーションで作られたクルマであっても、2004年のルマンに参加することをACOは認めていた。
 しかし、2003年と2004年では理念そのものが違い、カテゴリーのも異なっている。そこで、2003年レギュレーションで作られたクルマも含めて、それぞれのカテゴリーで走ることが出来るクルマをACOは公表している。
 まず、(LM)P1カテゴリーは、2004年レギュレーションで作られたP1マシン、2003年レギュレーションで作られたLMP900マシン、2003年レギュレーションで作られたGTPマシン、そして、2003年レギュレーションで作られたLMP675マシンの中で、カーボンモノコックを持つマシン(MGやザイテック等)の4種類のマシンで争われる。
 (LM)P2カテゴリーは、2004年レギュレーションで作られたP2マシン、2003年レギュレーションで作られたLMP675マシンの中で、アルミニウムモノコックを持つマシン(ローラB2K-40等)の2種類のマシンで争われる。
 当初、この通りの区分けで2004年のルマンは行われる予定だった。ところが、何時まで待っても、2004年レギュレーションのマシンを開発するメーカーやコンストラクターが現れないことから、ACOは新たに2つの変更を行うこととなった。
 1つ目の変更は、2003年レギュレーションで作られたマシンをベースとして、新たなクラッシュテスト無しに2004レギュレーションに合わせてモデファイすることを許したことだ。この2003年ベースの2004年マシンはハイブリッドカーと呼ばれている。
 2つ目の変更は、2004年レギュレーションのマシンをコンストラクターが作らない理由を、2003年レギュレーションのマシンの方が有利、とACOが解釈したことから設けられた。そこで、2003年レギュレーションで作られたマシンの戦闘力を削ぐため、2003年レギュレーションで作られたマシンは、燃料タンクの容量を10リットル少ない80リットルに減らされる一方、何とリアウイングの幅を10%狭い1.8mとされている。
 童夢では、元々2003年よりも2004年の方が有利と判断していたため、もし、2004年レギュレーションでS102クーペを開発することが出来るのであれば、圧倒的なアドバンテージを築くことが可能と考えていた。しかし、昨今の不景気風は想像以上だったようだ。いくら優秀なマシンを開発したとしても、客が買わないのであれば、その素晴らしい能力を披露することは出来ない。そこで、S102クーペの開発を諦めて、20cm幅の狭いリアウイングを持ったS101を開発することとなった。
 25日のルマンテストでは、3台のS101の総てが20cm幅の狭いリアウイングを装着して走行する。しかし、ナローウイングを装着して行われる初めての本格的なテストであることから、童夢では異なったデザインの翼端版を幾つか用意している。もちろん、どんなに工夫しても、20cmも幅の狭いリアウイングが従来と同じ能力を発揮するわけではないため、ノーズにも工夫を加えられるだろう。ルマンテストと、5月9日のLMESモンツァの結果によって、6月のルマン24時間レース本番で使う空力パッケージは決定される。
*詳しくはSports-Car Racing Vol.14をご覧下さい
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